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「僕」と「ボク」
『皆さんは自分のことをどう呼んでいますか?』
私(わたし、わたくし) 、僕(ぼく、ボク)、俺(おれ)、儂(わし)、我輩、吾輩(わがはい)、小生(しょうせい) etc…。
日本語は一人称を示す言葉が物凄く多い。日本語では一人称の使い分けで、話者と相手の立場関係が明確に示されるから当然なのだが、自分の親でも子供でも、会社の上司でも、みんな同じく“You”と表現する文化圏の方々にご理解願うのはなかなか難しいのかなとも思う。
このブログにおいて、僕は僕のことを「僕」と呼ぶが、この「僕」は「ボク」に近い。僕は文章力が無い為、「僕」と「ボク」のニュアンスの違いがうまく表現できないが、僕は「僕」なんだけど「ボク」というイメージで使うコトが多い…ってなんだかよく分かりませんね(涙)すみません。
日常生活において僕は、目上の方に対し「僕」、目下には「俺」を使っている。勿論ビジネスでは「私(わたくし)」を使うが、これはお客様や仕入先のお偉いさんに対してだけであるから、やはり僕が公私共に一番使う一人称は「僕」である。
僕は「僕」を自然にではなくて、意識的に使い始めた。それはある人物と出会ってからだ。
その人物とは、ウチの取引先のあるメーカーの社長(四国にあるかなり大きい会社の創業者)。彼は60も後半になるというのに自分の事を「ボク」と呼んでいた。この社長はこれでもかというくらいの遊び人で、山梨にあるウチの会社に来るのは、長野(飯田)に居る愛人に逢うついでに来るみたいなものだったというと大袈裟かな(笑)
当時24歳だった僕はそれまで、「僕」という呼び方は主に未成年の男子が使用するものだと思っていたから、年配でしかもそんなに大きな会社の社長が自分のことを「ボク」と呼ぶのを、とてもイレギュラーな感覚で聞いていた。
その社長と何回か話すようになって、仲良くなったなあと思ったある日。突然彼はこんなことを僕に口走った。
「ボクな、一回黒人とやったんやけどもな、どうにも○○○ていられへんのや。結局な、することはしたんやけども、その後もボクはどうも○○○てな。まあ、その○○○ったらあらへんのよ。」
僕はその場で思わず「ええっ~」と少しひきながらも笑ってしまったのだが、その時から年配の方が目下の者に対して柔らかく「ボク」という感覚が、とても可愛らしいものと感じるようになった。しかしそれを良しと思うにあたって、ただ年配の方が使っていたというだけではダメだったであろう。その社長がそれ相応の立場に居て、尚且つ僕が尊敬するような遊び人であったから、彼が使う「ボク」は僕に影響を与えたのだ。
30以上も下の若蔵に自分を「ボク」と呼びながら、エッチなことをやんわりと話すその口調は僕に、「ボク」という言葉に朕(ちん)にも似た高貴な感覚と、“可愛らしい”という雰囲気と、いつまで経っても大人になりきれないやんちゃな男のイメージを植え付けた。
それ以来、僕は僕のことをボクと呼ぶようになった。
僕はまだ自分が使いたいイメージの「ボク」にはまだまだ追いついていないけど、60を過ぎても自分のことを「ボク」と呼べるような、高貴で可愛らしいエッチなおじいさんになりたいと思っているから、少し早いような気もするけど今から「ボク」を使っている。
ここまで書いてきて思うのは、一人称に対してこんな思い入れたっぷりに語れる文化って素晴らしいということ。
ああ、ボクは日本に生まれて良かった。
さてボクはこれから気になるあの娘にメールをしようっと。
〔text.The Gag Council 〕
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