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「I love you」より「愛しとるで」と言いたい僕は「kiss」より「接吻」をしていたい
異文化コミュニケーションを楽しむため、駅前留学で英語を学ぶもよし、実際に英語圏に留学するのも大いに結構だ。キャリアアップのため「TOEFL」や「TOEIC」で高得点を目指すのも素晴らしいと思う。
好きになったパツキンを口説くために、寝る間も惜しんで勉強するような殿方が居たら、僕は心の底から尊敬もする。
あれも、これも、それも、何を勉強しようが全部自分の勝手なのだ。母国語以外を勉強しようと思って、それがすぐに実行できる「日本」という国に生まれた恩恵を精一杯享受するのは、国民として当たり前のことだし、先人はこの国をそういった「学ぶ自由があり、学ぶ環境の整った国」にしたかったのだと思う。
だから僕は自ら英語を学ぶ人を絶対に否定しない。
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これは聞いた話である。
彼女が親戚のオバサンと茶の間でしばらく談笑していると、オバサンの孫が小学校から帰ってきた。ただいまも言わず、玄関に靴を脱ぎっ放しにしたその女の子はドタドタと廊下を走り、一緒に帰ってきた弟とゲラゲラ笑いながら二人の元に来ると、挨拶もせずに置いてあったお菓子を食べ始めた。
その子はランドセルを開け、何かを取り出した。彼女にはそれが何だったのかは分からなかったけど、薄っぺらなノート様の本が見えたので、「見せてくれるかな?」と訊くと「うん、オッケー!」とその子は言う。
彼女は本を見た。背筋が凍ったらしい。やっぱりそうだ。これは教科書だ。これはなんなの?ペラッペラじゃない!?
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2002年から始まった「決定版ゆとり教育」はもれなく子供を白痴化させた。税金払っているのに教育量を減らされるのって、公共事業=悪だと思い込まされ必要な道路を造ってもらえなくなったのと同じく、国民にとって大きな損害だと思う。
「ゆとり教育」で教育量が十分なら何故、公立学校の教師は自分の子供を私立の学校に入学させ、さらに一所懸命塾に通わせる必要があるのか。
僕は「ゆとり教育」世代の子供が可哀想でならない。
さらにゆとり教育の「総合学習」と称した時間、日本の小学校の9割では「英語」を教えているそうだ。やっていることは英語を使った簡単なゲームくらい。
ただでさえ初等教育が足りないところに持ってきて、英語でゲームしていていいの?
そう思っていると、2006年3月27日。子供の白痴化に拍車をかけるであろう“あるニュース”が飛び込んできた。
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小5から英語を必修化 中教審部会が提言
小学生に英語を学ばせるかどうかについて検討してきた中央教育審議会(文部科学相の諮問機関)の外国語専門部会は27日、5年生から週1時間程度を必修化する必要がある、との提言をまとめた。社会のグローバル化の進展に加え、すでに小学校でゲームや歌などを通じて英語に触れる「英語活動」が9割以上の公立小学校で実施されている実情を踏まえた。
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英語の早期学習については、有識者の間でも意見が二極化しているくらいの難しい問題だ。
僕のような知識も無く、こよなく愛する横文字といって「オナニー」と「キャバクラ」しか出てこないような男が、いろいろ言うのはおこがましいかとも思ったが、ここは僕のブログで僕の意見を発表する場であるから、ハッキリと思っていることを書いてみたい。
『僕は小学校からの英語の早期教育に大反対である。』
これまで書いてきたとおり、個人が自分の責任において英語を学ぶことは、大いに結構だと思う。
しかしそれはそれ、これはこれだ。
僕が反対しているのは「小学校での英語の早期教育」。つまり公共教育として小学生に英語を教えることが許せない。
小学5年生で週1時間だけ英語をやったって、絶対に身につくわけがない。こんなに意味のないことはないだろう。週1時間学んだからって話せるようになるわけではないし、この時点から勉強すれば受験勉強で楽になったり、社会人になってから学び始めた時に覚えが早くなったりするというのなら、少しはやる意味があるかなと思うけど、それはまず考えられない。
「いや、英語に慣れ親しませる意義がある」というのであれば、英語で話しちゃいないが、このネズミ達の活躍をDMMモッコリヒルズで購入したほうが余程、英語圏の文化に触れるという意味で意義がある。
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公共教育では「日本人」として生きていくための教育をするべきだ。
日常生活でほとんど英語を使う必要のないこの日本で、英語教育の重要性なんて二の次…いや三、四の次ぐらいだからだ。
「英語漬け」というニンテンドーDSのソフトが売れているらしいが、これをやったからといって話せるようになるわけではない。
でも僕はこのソフト、非常に意義があると思っている…それはそのタイトルが英語教育の一番の重要性を物語っているからだ。
「漬け」
そう「漬け」である。「漬け」が全てなのだ!本当に英語を話せるようになりたかったら、「漬け」の状態にならないとムリということだ。つまり圧倒的に英語に時間を割く生活をしなければならない。兎に角、英語、英語、英語という環境に身をおくこと。英語を話せるようになりたかったら、それしかないと思う。
それでも、早くから英語を習うべきという人は、何でも吸収するスポンジのような子供の脳であれば、何事も早く覚えるという理屈をお持ちなのだろう。しかし、子供は覚えるのも早ければ忘れるのも早い。
英語は言語である。自転車に乗ることや、楽器を弾くこととは全く違う。維持するにはメンテナンスが必要で、学習時期が早ければ早いほど、継続して使えるようになるというものではない。使わなくなれば忘れる。
子供のうちにはもっとやることがある。僕らが物事を考えるのは日本語だ。小学校でやるべきことは、英語ではなくやはり日本語だ。日本語は日本人にとって思考し、かつ伝える道具だが、英語は日本人にとって伝える道具でしかない。
日本語は思考するに適した母国語といわれている。だったら思考するための道具を増やしてあげよう。子供にはとにかく本を読ませるべきだ。歴史に名を刻む偉人の話なんかを聞かせてあげるのもいいだろう。
全ては日本語。そこから始まる。
算数も大事だと思う。この世の中には数字が溢れている。数字が嫌いだったら大体の会社で使い物にならないことぐらい、僕ら社会人なら分かっているはずだ。数字とは一生付き合う。週に一時間のエイゴゲームで英語に慣れ親しませ、英語嫌いになるのを防ぐよりも、数字嫌いにさせないほうが余程その子の将来のためになる。
ズケズケモノを言うからあまり好きではないのだけど、ここまで書いてきて思うのは、細木数子の言うことで、これだけは100%正解だ。
まずは「読み、書き、そろばん」なのだ。
次にすること。体育だって大事だし、道徳だって大事。脱いだ靴を揃える、挨拶をする、、人の気持ちを推し量る、テキパキとものをこなす…そういった素養がその子の賢さにつながっていく、勉強する下地になる。
アメリカ人にとって最も難しい外国語はアラビア語と日本語なのだそうだ。ということはその逆もしかりで、日本人に英語学習は難しい。
そしてもう一つ決定的な理由がある。
それは僕らが英語を「使う必要がなく、接する時間が殆どない。」…これに尽きる。
受験英語と実用英語。そう分けて考える人が居る。日本人は受験英語しか学ばないから話せないと。実際の英語に触れるべきだと。
本当にそうなのか?いや、これはおかしいと思う。そもそも僕は受験英語と実用英語の違いなるものがさっぱり分からない。
英語は英語ではないか。
話せないのは、継続して勉強しないから、長時間英語に触れる環境にないからだ、使う必要がないのだから、話せなくて当然となる。
さて、だったら英語は勉強しなくていいかというと、答えはノンだ。
だって、より良い仕事に就くためには学歴が必要だという現実がある。そこは避けて通れないでしょう。だから「受験英語(?)」なるものは必死にやったほうがいい。
大丈夫。決定的に少ない日本人の英語学習の時間の中で、もっとも効率的に学習できるよう考えられた、日本人の叡智を集めたものだから学んでも損はない。
そして英語が出来なければならない立場の人達がいる。日本語によって品性も教養も兼ね備えた人物が英語を駆使し、国際社会に討って出て行くのを応援したい。
人生死ぬまで勉強だ。
そしてそのベースは間違いなく日本語である。英語を話すにしても大事なのは自分の中身だろう。
だからこそ、小学生は英語にかまけている暇などないのだ。
日本語を徹底的にやること、誰よりモノを考え、自分自身を磨くことの出来る人間にすること。
公共教育の役目はそれに尽きる。
〔text. The Gag Council 〕
あとがき
冒頭でも書きましたが、英語の早期教育については、有識者の間でも意見が二極化しているくらいの難しい問題であります。
勿論、僕の意見に反対の方もいらっしゃるでしょうが、ここは僕のブログですから、あえて「僕の意見が絶対正しい!」というような書き方をさせていただきました。その点ご了承ください。
教育は人間形成の基本です。
完全悪とされた「詰め込み教育世代」ド真ん中の僕は今、その「詰め込み教育」というものをしていただいたことに、とても感謝しています。
「カタ」にはめていただいたことがありがたいのです。そのお蔭で僕はこんなに個性的な人間になることができました。
今回の記事で少しでも多くの方が、この問題に興味を持ってくれたらと切に願います。
多くの人が考え、話し合うことによって、必ずより良い未来が開けると思っているからです。
〔2006/4/5 ウタマロ代表〕